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祈り 細川玉子(後のガラシャ夫人)像 建立

  • 井澤 宏亮
  • 2013年12月13日
  • 読了時間: 2分

更新日:2024年1月15日

1580年、細川藤孝、忠興、玉子(後のガラシャ)は、宮津へ入りました。

 

その2年後、本能寺の変が起こり、玉子は丹後半島の山深い味土野へ幽閉されます。

幽閉が解かれ、大阪玉造に移り住んだ後も、子ども3人を、宮津へ帰り出産しています。

 


 

2013年は、細川忠興・ガラシャ生誕450年。記念事業として、大手川ふれあい広場に、

「祈り」細川玉子(後のガラシャ夫人)像が建立され、11月15日に、銅像の除幕式が行われました。

 

garasha annaiban

 

宮津城は、大手川の東岸にあったので、ガラシャ像はお城の方を向いて、建っています。

 

銅像を制作された、日本芸術院会員で彫刻家の山本眞輔さんは、市内の建立候補地をまわられた時、

「『私はここがいい。』というガラシャの声が聞こえた。」と、お話しされていました。

 


 

台座の銘「祈り」を揮毫された、細川家18代当主の細川護煕さんは、ガラシャのことを宣教師が

ヨーロッパへ伝え、オペラになり、広く知られるようになったことなどを、お話しされました。

 

garasha3s H25.11.15

 

皆さんで記念撮影。

 

garasha5s H25.11.15

 

夜には、宮津会館で、宮津出身の作曲家、平野一郎さん作曲の

「伽羅奢〜チェロとピアノに依る連禱〜」などの演奏が行われました。

 


 

宣教師フロイスの日本史によると、玉子は、丹後の地に大伽藍(教会)を建てたいという、強い希望があったとのこと。

 


 

garasha chirashi

 

銅像の近くには、1896年に建てられた、カトリック宮津教会があります。

内部は畳敷きで、ミサをあげる現役の教会としては、日本最古の教会。

教会内部の柱に使われている欅は、味土野の近くから運ばれたと、伝えられています。

 

garasha11s H25.11.15

 

大手川ふれあい広場、教会へは当館から徒歩5分です。

ロビーに、宮津散策MAP、細川ガラシャ物語パンフレットを置いています。

行ってみようと思われたなら、道順など、どうぞスタッフにお尋ね下さいませ。

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