古代、日本の玄関口として大陸と栄んな交流のあった丹後半島の町や村はミステリアスでロマン溢れる歴史や伝説の宝庫です。是非、古代のロマンに思いをはせてみて下さい。

当館ロビーより「丹後七姫人形 島村 佳(作)」

 
 〜丹後町〜
間人と書いて「たいざ」と読みます。
用明天皇の后で、聖徳太子の生母・穴穂部間人(あなほべのはしうど)皇后は、奈良の都で起こった乱に際し、大浜の里(現・間人)に逃れていましたが、やがて乱も治まり都に帰ることとなったとき、村人たちの親切に感謝し、この地に「はしうど」の名を付けられました。しかし村人たちは皇后の名を口にするのは恐れ多いとして、大浜の里を退座されたことに因み「たいざ」と呼ぶようになりました。
 〜網野町〜

浅茂川から西へ、海岸沿いの道を行くと「磯」という集落があります。村にある静神社は、悲劇の英雄・源義経の愛妾であった静御前を祀った神社です。磯の善次の娘として生まれた静は京へ出て白拍子となり、義経に見初められるのですが頼朝による義経追放後は故郷の磯で晩年を過ごしたといわれています。
 〜弥栄町〜
ガラシャは細川忠興の妻で、明智光秀の次女玉子のことです。山崎の合戦で光秀を破った秀吉の配慮から、忠興と離縁の形をとって弥栄町味土野に2年の間身をひそめていました。やがて復縁を許されたものの、関が原の合戦の際、彼女は石田三成からの人質を拒み、自害して果てます。ガラシャの陰棲地・女城(めじろ)跡には、「細川忠興夫人隠棲之地」の石碑が建っています。
 〜峰山町〜
昔々、蜂峰山に住む三右衛門が、比治山(現・いさなご山)の頂にある池で水浴びをしていた天女の羽衣を隠した縁で、その天女と夫婦となり三人の娘をもうけました。天女は農業、養蚕、機織りを村に広めたのですが、やがて「7月7日に会いましょう」と言い残し、天界へ戻りました。しかし天の邪鬼は「7月7日」と偽って三右衛門に伝えたために・・・
 〜大宮町〜
平安期、絶世の美女で歌人として知られる小野小町は、都での華々しい暮らしに別れを告げ、和歌を頼りに日本各地を旅しました。小町は天橋立をめざして、旅の途中に大宮町の五十河に足を運び、長尾坂というところでにわかな腹痛に見舞われ「九重の花の都に住はせで、はかなや我は三重にかくるる」という歌を残し、この地で亡くなりました。
 〜宮津市〜
日本三景のひとつ天橋立には、剣豪として名高い岩見重太郎が父の仇三人を討ちたおした「仇討ちの跡」や「試し切りの石」が残されています。また、海岸線(178号線)を舞鶴方面に走ると森鴎外の小説「山椒大夫」の舞台となった由良地区に至ります。ここには汐汲浜や安寿姫と厨子王の銅像、森鴎外文学碑など小説ゆかりの名所があります。
 〜舞鶴市〜
山椒大夫の元から厨子王を逃した安寿姫も太夫の家を逃れ京へと向かいます。しかし中山から下東へでる坂で、疲労と空腹のため命をなくしてしまいました。いまもこの坂は「飢(かつえ)坂」といわれ、土地の人々は姫の死を哀れみ手暑く葬りました。その「安寿姫塚」が建部山のふもと、下東に残っています。

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